こんにちは、masayaです。
博士課程修了後にポスドクをするキャリアパスは昔に比べると増えてきていると思いますが、ポスドクのトレーニングを積んで業績を出して就職までできるかどうかは不安に感じる方も多いと思います。
私も海外(米国)へ研究留学した直後は慣れない環境のストレスも相まって業績(論文)→就職の流れに至るかどうかポスドク年数を経るにつれ不安に感じた事がありました。
最終的には運よく業績を出して就職できたわけですが、どこがターニングポイントになったのか割と明確な部分がありました。誰かの参考になればと思ったので、業績を出せるか出せないかをほぼ決めたターニングポイント(ボスとの議論でNoと言った事)についてシェアしたいと思います。
1. 背景: ポスドク時の研究室
まず簡単なバックグラウンドとして、ポスドク時にどういった研究室に所属していたかと言うと、Howard Hughes Medical Institute (HHMI)の研究者のボスが運営している20人程度の規模の大きな生命科学系のラボでした。
ラボで運営されているプロジェクトとしてはA, B, Cと大きく分けて3つのプロジェクトが進められており、Cell, Nature, Science誌並びにその姉妹誌に毎年コンスタントに複数報出している感じでした。
そういったラボの状況を知っていたので、渡米前はそういったhigh impact journalsへ筆頭著者で1-2報程度を投稿する事を目標に据えていました。
2. ポスドク1-2年目: 試用期間
渡米当初はいきなりメインのプロジェクトを主導的にこなす感じではなく、メインプロジェクトAのサブプロジェクトaがアサインされました。
当時は英語のコミュニケーションにも難があったのと、おそらく技術的な部分やメンタル、どれくらいハードワーク出来るのかについて試されていたのではないかと思います。
正直慣れない環境に適応するのに半年くらいかかりましたが、何とかこのサブプロジェクトaを2年程度でまとめる事が出来ました。
この最初の2年間の間で所属していたラボでの、
- ボスのプロジェクトの進め方(考え方)
- 米国らしい仕事の効率化
- より一層のハードワーク
などが身に付いたので、次は研究室で動いていたメインプロジェクトの一つに何とか絡んで大きな仕事をと考えていました。
3. ポスドク3-4年目: ターニングポイント
ポスドクの最初の仕事がまずまずの論文にまとまったわけですが、もちろん目標にしていたのはHigh impact journalsだったので、次の研究テーマの議論をボスと始めました。
最初はボスに頼まれたテーマXのバックグラウンドなどを調べて面白そうだと思ったので、その方向で仕事を進めていました。
しかし下準備をしながら3ヶ月ほど経過したある日、ボスに呼ばれて『競合先が同じプロジェクトXを進めていそうだから、プロジェクトXは撤退して同僚のNさん率いるグループ(4人)が抱えている大きな仕事になりそうなプロジェクトYのサポートをしてくれ』と言われました。
ここがまさに“publish or perish”の分岐点だったと思います。
この時に“Yes”と答えていたら、プロジェクトY(結果的にCell誌)の論文の3-4番目くらいに名前が載っていたと思います。ただそれだと今後アカデミアか製薬企業への就職するための業績としてちゃんと機能していたのかとても心配でした。今となってはわかりませんが、おそらくより厳しい就活が待っていたかもしれません。
このボスとのミーティングの際に感じていたことは、既に始めていたプロジェクトXの科学的に面白い可能性を感じていたので、競合先がやっている“かもしれない“という不確定な状態で撤退するのがとても嫌でした。なので、(今考えると勇気があったなぁと思いますが…)『スクープ(先に論文が競合相手から出されること)されてもいいから、プロジェクトXを続けたい』と初めてボスに『No』と言って自分の意見を強く主張しました。
この時はお互いに結構感情的に議論をしてしまって、ちょうどその場にいた同僚のNさんも若干戸惑っていたのを覚えています。
ボスとの議論の結果、何とかボスからプロジェクトXの継続の許可を頂いてそこから1年ほどはさらなるハードワークが待っていました。その甲斐があったのか運が良かったのか、結果的に競合先と同じタイミングで論文を筆頭著者として出すことが出来ました。
あの時プロジェクトXに感じた可能性を信じて“No”と自分の意見を主張していなかったら、この結果はありませんでした。もちろん、逆の失敗の可能性もあったわけですが…
日本人の良い点で『協調性』が挙げられると思いますが、ずっとYesと言って調和を大事にするのではなく、時には自分が正しいと思うことであれば、思い切って”No”という勇気も必要だということを学びました。
何も考えずに“Yes”と言い続けていたら、いいようにサブプロジェクトの仕事を頼まれるばかりでメインプロジェクトの仕事に絡んでいけないままポスドクの期間が終わってしまうかもしれません。
ここらへんのバランスは所属する研究室やボス(研究室主催者)の方針・性格にもより変わってくると思うので、ラボの同僚などと意見を交わしてみるのもいいと思います。
強調しておきたいのは、アメリカで仕事をしていく上でも協調性/調和はもちろん大事です。サイエンスもチームプレイですから。仮に協調性がなければ一緒に働くのに支障をきたし、後々次のポジションを探す際に良い推薦状をボスから書いてもらえなくなるかもしれないからです。
4. 日米での就職活動へ
ポスドクの業績にも納得出来たので、次のステップとして日本のアカデミアのポストを探したわけですが、今はアメリカの製薬企業で研究職をしています。
紆余曲折の経緯は詳しくは“卓越研究員の結果: アメリカで製薬研究職を目指すターニングポイント“に書いてあるので、読んでみてください。
この時感じたのは、ポスドク時代を通じた仕事やラボでの振る舞いなどに対してとても評価をしてもらい、ボスからとても良い推薦状を書いて頂きました。
アメリカでアカデミアや企業に行く時は推薦状がとても重要になってくるので、本当に有り難かったです。
転職時の推薦状の重要さについては、“研究留学前に知っておきたい推薦状の役割と書き方“でまとめてあるので、是非参考にして下さい。
5. Take home messages
- 協調性も大事だが、時には”No”と言って自分の考えを主張をすることもとても大切である
- プロジェクトを主導する立場になったならば、責任を持って時にはハードワークをする
- 仕事に対する姿勢がボスやラボメイトからのCredit(信頼)を獲得し、良いネットワーク(コネ)を築いていく
あの時に“No”と言っていなかったら、今の立ち位置とは全く違う結果になっていたので、後悔のないポスドクトレーニングを送るためにも自分の意見を主張することはとても大切です。
このポスドクのトレーニング期間中に学んだことはとても多く、1ページでは収まらないので以下の記事も合わせて読んでみて下さい。
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最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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