プロフィール
当サイトを運営しているmasayaです。
自己紹介を見て下さってありがとうございます。
私は日本でPhDを取得して、アメリカで約5年間のポスドクを経て、縁があって現在アメリカのPfizerという製薬企業で研究職をしています。
元々は日本に戻って海外でのポスドクの経験などを伝えていこうと考えていましたが、アメリカで就職したのでこのサイトを通じて自身の留学経験や製薬企業で研究職として経験した事などを伝えていければと考えています。
近年は研究留学などで海外へ出ていく人数が減っているとよく聞きますが、海外での生活やその後の進路に関して知らない事が一つの原因だと思っています。
なので、ここで紹介している情報(1個人の経験ですが)が海外へ留学や就職を考えている方の参考になってくれると嬉しく思います。
海外へ研究留学するまでの経緯
実は博士課程3年くらいまでは海外でポスドクをしようとは思っていませんでした。おそらく多くの方と同じように国内で製薬企業もしくは大学への就職を考えていました。人並みに修士課程と博士課程在籍時には就職活動もしてました。特に博士課程の就職活動の際は、製薬企業の研究職に就きたいのかアカデミアへ進みたいのか正直迷ってもいたので、企業の方の就職活動は上手くいかなくて当然だったと思います。
実際には博士課程時の就職活動(製薬企業と国内のアカデミア)の手応えが全くなかったので、「このままでは生きていけないのでは?」と感じ、また研究室の同期が卒業直後に渡米したのにも刺激を受けアメリカでポスドクをする事を決めました。
北海道大学で1年間のポスドクをしている間に留学準備をすすめ、日本学術振興会の海外特別研究員に採択されました。仮に海外特別研究員に採択されなかったとしても、ポスドク先のボスが留学後にフェローシップに応募するプランを立てていたので、何かしらのフェローシップを獲得していたと思います。
その後はアメリカ南部テネシー州メンフィスにあるSt. Jude Children’s Research Hospitalという研究機関で約5年間ポスドクとして、細胞周期あたりのユビキチンプロテアソーム関連の基礎研究を行なっていました。この5年間は英語環境への適応やスピードの速い分野での競合などかなり大変な経験をしました。しかし今の自分のサイエンスへの考え方に関する基盤を作ってくれたので、振り返るとすごく貴重なものだと感じています。
アメリカで転職するまでの経緯
ポスドク時の仕事もまとまる目処がたったので、次の進路を考えていた矢先の2016年に卓越研究員制度が開始したのを知り、やってみるかと思い初年度のこの制度へ応募しました。結果として卓越研究員候補となり研究予算は獲得できましたが、国内でのマッチングが上手く行かずに大学・企業のポストを得ることが出来ませんでした。こういった話をアメリカの友人やボスに話したらとても驚かれたことを今も鮮明に覚えています。
しかし卓越研究員の応募書類の一つであった長期研究計画を思案したおかげで、最終的にはDrug Discoveryをしたいという自身のモチベーションに気づいたのでアメリカで製薬研究職を探すことにスムーズに移行できました。
興味のある方は“卓越研究員の結果: アメリカで製薬研究職を目指すことになったターニングポイント”と“アメリカ製薬研究職への転職活動”を合わせて読んでみて下さい。
その後はアメリカでの就職をするために、アメリカでのビザの知識や友人達からアドバイスをもらい、転職活動を進めていきました。
アメリカで本腰を入れて仕事を探し始めて4ヶ月ほどでタイミングと運が良く今のポジションに就くことができました。
アメリカでポスドクをした後に現地の製薬企業へ転職するというちょっと変わった進路を歩んでいるので、今後もポスドク時代に経験した事やアメリカの製薬業界で経験した事などを中心ににシェアしていこうと考えています。
何か聞きたい事があればコンタクトフォームもしくは質問箱から聞いてください。
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